検索エンジンに表記された
「僕の本質」というタイトルでググると一番先頭に表記されるようになった。
これは検索エンジンに登録したからだろう。やはり嬉しいものだ。

僕が今まで撮影した写真たちは、一貫したテーマに基づいている。これが僕の写真の特徴だ。世間ではあまり評価されなかったが、高名な写真家達には評価された。アマチュアには総スカンである。敵意を持たれることが多かった。何故か?やっかみだ。

やっかみにくたびれて、表現する意欲を失い、力を仕事へと全力投球した。これは僕のマネージメントでは、あまり良い方向ではない。
すっかり、テーマが見えなくなり、暗礁に乗り上げた。

サイトリンクした写友達はさらに落ち込んでしまい、サイト消失が続出した。
写真は手っ取り早い表現だが、奥深いものだ。故に底が浅い人は飽きてしまう。時を重ねて色あせるモノになりやすい。表現者は自らの才能にがっかりするだろう。

たくさんの情報に左右され、解像力に頼った表現を目指す人が多くなった。僕が目指すのは100年以上前の写真師アッジエである。
解像力とかどうのと言う前の表現であり、写真の基本がそこに満たされている。決して懐古主義的な表現ではない。自分で映像に感動出きる写真だ。

ap30f
いつか逢えるね
僕が女性と初デートをしたのは、高校の受験が終わり、合格通知がきた春休みだった。

中学のクラスメイトの女の子が家まで訪ねてきて、僕とつきあいたい女の子がいることを告げた。

彼女はその子と親友らしく、卒業アルバムとか見せたらしい。

荒町小学校の校庭で待ち合わせた。周囲は小学生ばかりだから、初対面でも互いにすぐわかった。

校庭の鉄棒はとても低く感じた。体が大きくなり、自分が成長したことに気づいているのだが、こころはまだぼーっとしている。

女の子は色が白く、ちょっと体格が良いが、とても可愛い子だった。目が透き通るように奇麗でちょっと怖いくらい。

胸も大きくメリハリがあって、ちょっとハーフっぽい印象だ。

眼のやり場がない。

僕はビビった。どうやってつき合えば良いのか、見当がつかない。

電話番号は交換したような記憶がある。はっきりしない。

考えたが、面倒だなと思ってしまった。つき合い方がわからないのだ。

僕は背伸びをして、自宅ではなく、大学生達が住む下宿から、高校に通うことにした。

彼女とはその間連絡出来なかった。

下宿生活は、だらしない生活になり、不登校になってしまった。漫画やSF小説ばかり読んでいた。

担任から、下宿に電話が入り、留年するぞと注意された。

3ヶ月後、僕は自宅に戻った。

すると、校庭デートのセッティングをしてくれた元クラスメイトから、電話があった。

「○○君、言いにくいんだけど・・・」

「なんなの?」

「彼女亡くなったんだよ。」

「え?」

「白血病だったらしい。」

僕はこれは夢だと思いたかった。

悲しいというより、わけがわからないのだ。

今頃気づいたのだが、僕の思春期は屈折したものだった。

大人の妖しい魅力に背伸びをしてしまい、身近にいる素敵な存在に気づかないのだ。

僕が向こう側にいったとき、彼女とデートしたいなと思う。

つき合い方は、もうわかるからね。

june3e
貴方の声を聞きたい
20代の頃、つまり1972年には、僕は電話を所有していた。当時は電話債券を購入しないと、電話が設置できなかった。
設置費用は給料1ヶ月分ほどだった。そんな事情から当時、一人暮らしをしている独身男性・女性で電話回線をひいている人は少なかった。

僕は親のすねをかじっていたから、電話をひいてもらった。目的は女性との会話のためだ。電話がないと、当時からナンパには不利だった。
僕はちょっともてたので、だいぶ電話では楽しい思いをした。要するに軽薄な男性だったのだ。

仙台に戻った1978年は電話事情が変わった。男性としてかなり落ち着いてきたので、相談の電話ばかりきた。
一番困ったのは、高校生からの電話だった。別にナンパした訳ではないのだが、行きつけの喫茶店の常連客同士だった。誰かから、電話番号を聞いたのだろう。夜10時頃に、電話がかかる。雰囲気から公衆電話だろう。コインががちゃんと落ちる音が聞こえる。いつも長電話。

「君は今受験時期だろう。こんなんで勉強できるかい?」

「私・・・何か吹っ切れないんです。○○さんと会えば、答えがでるかもしれない」

「答えって?」

「私の殻を壊してほしい。私、頭が変になっている」

そういう時期って男女ともにあると思う。うまく願いを叶えてあげるより、ほろ苦い思い出をバネにして、奇麗になった欲しいと思った。
1年後、すっかり大人になった彼女を見かけた。体系も女性らしいフォルムになったようだ。しかし、輝きが全くない。どうしたんだろう。

しばらくして、彼女の友人に忠告された。

「女に恥をかかせちゃいけないよ。あんなに可愛い子ほっといて、ナニ良い男気分でいるのよ。」
そういいうことが常識なのか・・・・・・。
男はつらいと思った。そういうことが何件もあって、あだ名がついた。

僕は「やらずの○○さん」だって。

写真のタイトル 「ガラス張りの個室はどこへ?」
cloudy1
意味不明の自己愛
ヒトは外見だろうか?たぶん重要なことだろう。美の認識の共通・共感など、そのようにアタマが作られているから、そうなんだろう。
個人的な見解かも知れないが、外見がキレイでアタマが良さそうなヒトの言葉は魅力的だ。クラクラするんだ。

それに酔ったことがことがある。しかし、今になって読み返してみると、言葉に酔っているのは書いている本人なのだ。それに意味などない。優位性の表明だろう。そういうものだ。真のアートはそれをぶち壊すようなパワーを魂で感じる。

写真タイトル 自己愛は時を超えるか

SIMON
心理学で知り得ること
僕は心理学を学びたいと思った。ユング派の心理学すこし勉強したことがある。さらに進んだトランスパーソナル心理学については、僕には精神世界と見分けがつかない。ヒトのアタマは恐ろしく想像力があるものだ。ただし、心理学者も自己顕示欲があるだろう。不可解な自説を強調する。
これは検証不能の領域だ。平和を訴える姿勢は理想主義者である。富裕層や知識階層の支持を得たいのがみえみえだ。

食料危機の時代になれば、いわゆる「こころの問題」はなくなってしまう。





写真タイトル 心理学の印象

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